2011年3月11日14時46分。 岩手県沖から茨城県沖にかけて、幅約200キロメートル、長さ約500キロメートルにおよぶ広い範囲を、マグニチュード9.0もの巨大な地震が襲った。この地震は、強い揺ればかりでなく国内観測史上最大の津波を伴って、東北・関東地方沿岸に壊滅的な被害をもたらし、さらには福島第一原発事故をも引き起こして日本中を震撼させた。
16年前の阪神淡路大震災の記憶がまざまざとよみがえった。あれほどの悲劇は二度と起こらないと思っていた。一瞬にして瓦礫の山と化したまち。余震の続く中、損壊した民家の屋根をブルーシートで覆うために東奔西走した日々。自分の知識や技術を、誰かを救うため、誰かを守るために活かせることに感謝しながら、ただがむしゃらに体を動かした。あの時には考えこむ暇などなかったが、今回は約1000キロも離れた東日本を襲った震災。「自分はここでじっとしていていいのか。何かできることはないのか」という思いに駆られながらも為す術はなく、日々メディアを通じて伝わってくる壊滅的な被災地の様子を、じりじりする思いで見守るばかりだった。
それから約2ヶ月が経った5月。私たちはこの震災で最も大きな被害を被った町のひとつ、女川町へと向かっていた。7万戸以上必要と言われた仮設住宅の建設が難航していた。災害時の応急仮設住宅は、通常プレハブ系のハウスメーカーが中心になって建設が進められるが、今回は国の要請を受け、一般住宅を扱う大手ハウスメーカーも加勢して、早期建設に拍車がかけられた。クライアントのひとつであるハウスメーカーも宮城と仙台に現地対策本部を立ち上げ、多くの社員・関係者を被災地に送り込んでいた。慰問を兼ね、女川の応急仮設住宅の建設作業にボランティアとして加わることにしたのだった。
女川町の現実を見て、すさまじい衝撃を受けた。
あまりにも多くの犠牲者と、あまりにも広域にわたる膨大な物的被害。あの阪神淡路大震災の惨状をはるかに超え、現実感を失ってしまうほどの凄惨な光景が、はるかかなたにまで拡がっていた。
「津波で打ち上げられた船がひっくり返っていますから、それを目印に来てください」
仮設住宅の建設現場の場所をたずねると、そんな答えが帰ってきた。その言葉の通り、海岸を見下ろす高台に、一艘の大型船が船腹を見せて横たわっていた。見渡す限りのおびただしい瓦礫。まちの、およそ8割の建物が流出したという。木造の家屋はほぼ全滅し、基礎だけが残された。鉄筋コンクリートや鉄骨造の建物は形を残していたが、その多くが基礎ごと根こそぎなぎ倒され、太い杭がむきだしになっていた。
「あり得ない世界が、現実として自分の目の前にひろがっていて、自分の中にあった常識が、一瞬にして崩れてしまったような思いでした。阪神大震災以来、基礎工事とは安心と安全の礎を築くもの、という信念で仕事にあたってきたつもりでしたが、自然の巨大な力の前に、人間や人間が作り出したものがいかにはかないものかを思い知らされました」
現場では「1日でも早く、1人でも多く」を合言葉に、仮設住宅の建築が急ピッチで進められていた。それに加わり作業に精を出したが、私たちの胸のうちには言いようのない無力感がひろがっていた。
そんなさなか、心に光を与えたのは、遠く県外から派遣された自衛隊員の姿だった。瓦礫の山を素手でかき分け、冷たい水に腰まで浸かりながら、不明者を必死で探し続ける隊員たち。彼らは地震発生直後、すべてのライフラインが断絶した女川町に到着し、厳しい訓練で身につけた高い災害対処能力を駆使して、町内で野営をしながら瓦礫の撤去や道路整備、行方不明者の捜索などにあたっていた。そして、その一方では入浴設備の運営から食料の配給、炊き出しなど、被災した町民の生活をきめ細やかに支えていた。過酷な環境の中で被災者たちに寄り添い、懸命に任務をこなす自衛隊員たち。彼らの昼夜を問わない献身的な働きが、被災者たちを力強く支え、生きる勇気を与えていた。
「自衛隊の方たちがそばにいるだけで、被災者の方たちは安心感を得ているようでした。彼らの優しさや思いやりの心が被災者に伝わって、絆が生まれているのだとも感じました。何よりすばらしいと思ったのは、誰にも頼らずすべてを自分たちでまかないながら、長期にわたって活動できる自衛隊の自己完結能力でした。その力に被災者の方たちは全幅の信頼を置いていたのです。本当の”安心”は人によって生まれるもの。自分は微力だけれど決して無力ではない、と教えられた気がしたのです。」
それから1年半の月日が流れた。
被災地では復興住宅の建設が進みつつある。
復興の鎚音が響くのは喜ばしいことだ。しかし、中には復興景気とばかりに嬉々として被災地に乗り込んでくる業者が存在することも確かだ。阪神大震災の復興住宅建設では、我が身の利益だけを考えた手抜き工事が横行したというが、そんなことは決して繰り返されてはならないと思う。
「再び立ち上がろうとしている被災者の方たちを支える礎を築くのが基礎工事。温かくやさしく、末永く住み続けられる強い家を建てるためには、強く確かな基礎が不可欠です。我々は自衛隊にはなれないけれども、基礎工事の分野で彼らのような誇り高い仕事をしていきたい。何よりもそこに住む人のことを考え、強く確かな基礎を築くために全力を尽くすことで、本当の”安心・安全”を提供できる存在になりたいと思っています。